三重県いなべ市は、2003年に北勢、員弁(いなべ)、大安、藤原の4つの町が合併してできた市である。
『いなべ市』としてはまだ10年と少しの歴史だが、それぞれの町で暮らしてきたひとたちにとっては、どの町も変わらず大切な『故郷』である。
『いなべ』という故郷への想い。
それは30年前に北海道から嫁いできた児玉京子さんの場合でも変わらない。
児玉さんは、いなべの町のひとたちからも愛される縫製工場『近藤ソウイング』に欠かすことのできない、創業当初から30年間勤める職人の1人だ。
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北海道奥尻島から『いなべ』へ、
出会いと縁による第二の故郷。
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いなべで生まれ、ずっといなべで暮らしてきたかのような雰囲気の児玉さんは、北海道奥尻島の出身。
中学を卒業後、東海地方へ就職し、働きながら専門学校で洋裁を学んだ。
しばらくして、実家の北海道に戻ることになり、そこで偶然いなべから北海道に赴任中だったご主人と出会い結婚。
いなべに嫁いですぐ、子どもにも恵まれ、同時期に家の目の前に『近藤ソウイング』が創設される。
縫製工場を横目に子育てに追われていた児玉さんに、「子育てを一緒に手伝うから、洋裁の知識と経験を活かして近藤ソウイングで働いてみたら?」
と義母に勧められ、以後30年にも渡り縫製の仕事に携わることとなる。
いなべで暮らすことになったのも、『近藤ソウイング』で働くことになったのも、北海道で出会ったご主人との縁だったといえる。
いなべは見知らぬ土地だったけれど、ある日、町の代表として『NHKのど自慢』に出演させてもらったのがきっかけでこの町になじめたのだと、
ユーモアを混じえながらチャーミングな笑顔で話す児玉さんの明るさは、『近藤ソウイング』のこれからを照らすかのようだ。
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世界といなべを繋ぐ手仕事。
町の工場から広がる『可能性』。
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近藤ソウイングは、単なる生産工場ではない。高い技術をもった少数精鋭の職人集団だ。
国内生産でのクオリティの担保によって有名ブランドのファッションショーの服を手がけるなど、近年事業を広げている。
中でもプリント技術によるユニフォーム作りなどは、地域の需要もあり、地元に愛される工場へと進化を続けている。
しかし、どれだけ規模が大きくなっても、『手作業』は欠かせない。
近藤社長は、縫製工場での仕事は、同じ『縫う』という作業を『ひとの手で』何日も何日も繰り返さないといけない大変な作業だと言い、
30年もの間、職人として縫う作業を続ける彼女に敬意を示す。
量産のために機械化されていく時代の中で、世界に通用するひとの『手』による仕事が、この『いなべ』には残っている。
工場のすぐ近くに藤原岳の登山口がある。最近、登山に訪れる観光客に道案内をすることが増えた。
記念品のバッジを作成するなど、地元を活性化させるための新しい試みにも積極的な近藤ソウイング。
地場産業を支える地元の工場が、児玉さんのような明るく活発な社員たちの支えやアイデアによって、
故郷の観光コンシェルジュ的な存在になる日も近いと感じる。
近藤ソウイング
工場内でパターン作成から裁断、縫製、プレスと、衣服作りに関するほぼ全工程を行うことができる近藤ソウイング。
ベテランの職人と若いスタッフが明るく働く現場。
世界で活躍する有名ブランドからも信頼を得ている。
【住所】三重県いなべ市藤原町坂本63-2
【電話番号】 0594-46-4308
【Credit】
〈撮影場所〉
近藤ソウイング 藤原町坂本
〈取材撮影ご協力〉
児玉 京子さん
〈撮影〉
フォトグラファー 熊谷 義朋
〈インタビュア・テキスト〉
PARK GALLERY 加藤 淳也
〈衣服〉
toi designs とわでざいん
着るひとの暮らしに寄り添いながら『永遠(とわ)に着られる服作り』をコンセプトに名古屋を拠点に活動するブランド。
世界最古の赤と言われる顔料『べんがら』で染められた鮮やかなコートがよく似合う児玉さん。
素人ではなかなか気づけない細かな縫い方や、生地を無駄にしない作りなどにすぐ気づく。
30年という歳月を重ねた職人の顔を見る。