いなべといえば、かわいい黄色い電車。と、今ではイメージがしっかり結びつくほど。
大正3年から走り続けている三岐鉄道北勢線は、104年もの間、阿下喜駅から想い出とともに、人々を運び繋いでいる。
朝6時30分から窓口を開け乗客を見送り、陽が沈み夜暗くなる頃まで乗客を迎え、帰路につく姿を見届ける。
「無事に行き来して、ここに帰って来てくれると、ほっとします」と話すのは、阿下喜駅で約3年半、駅員として勤める川瀬幸廣さん。
鉄道の仕事に携わって50年、川瀬さんは鉄道と共に過ごしてきたと言っても過言ではない。
初めまして、と名刺をお渡しすると、「名刺なんか持ってないもんで」と、代わりにロッカーから職員証を出して見せてくれた川瀬さん。
取材中も言葉巧みにユーモア溢れるダジャレを挟み、茶目っ気たっぷりで対応してくれた。
いなべで生まれ育った川瀬さんは、昭和43年 高校を卒業して直ぐ、父親が運転士をしていたことがきっかけで、近畿日本鉄道に入社。
いなべ市が合併した平成15年に、三岐鉄道北勢線に転籍し、車掌、運転士を務め、定年退職となった平成21年から駅員として勤めている。
人と人が行き交う場所で、様々な時代背景と共に、いろんなシーンを見て来たからこそ、川瀬さんの中には人一倍、
色濃く日々の想い出が残っているように感じた。
当時45歳、今では考えられないほど、高校生たちの乗車ルールが自由だった頃の話し。
まるで先生のように、時には親のように、厳しくでも優しく指導していたという。
「良いところに就職できました、ありがとうございます!と、後日親御さんが菓子折りを持って3人も来ましたよ」と、笑いながら話す川瀬さん。
今でも通学で電車を利用する高校生たちに声がけを欠かさない。
「駅員としてこうやって立っていると、たまに当時乗客だった子に、川瀬さん?と声をかけられるんですよ。覚えていてくれるのが、またとっても嬉しい」
想い出を大切そうに話してくれた。
「生まれ育った地元で、こうやって地域に溶け込めることができて嬉しい」
取材中も、地域の高校生をはじめ、たくさんの乗客が川瀬さんに話しかける。
「遠い町から来た人にも、また来るよ!と言ってもらえると、本当にこの仕事をしていて良かったと思います」と、優しい笑顔を浮かべる。
「僕は、家でも職場でも、常にムクチだからね。あ!無口じゃなくて、口が6つの方ね」
駅員さんと、日々何気ない会話を楽しむ。これもまた、阿下喜駅の魅力のひとつだと思う。
「いってらっしゃい!」
今日もまた、ホームに立ち黄色い電車を笑顔で見送る。
【Credit】
〈撮影場所〉
三岐鉄道 北勢線 阿下喜駅
〈取材撮影ご協力〉
駅員 川瀬幸廣さん
〈撮影/インタビュア〉
フォトグラファー 熊谷義朋(冒頭写真)
いなべ市役所 企画部 政策課
〈撮影場所〉
いなべ市北勢町阿下喜