「もう、ご飯だよ。帰っておいで」
遠い夏。
幼い時、外でいつまでも遊んでいると、親に威勢のいい声で呼ばれたものだ。
夏の日暮れ時には、明かりの点いた古民家がよく似合う。
辺りが薄暗くなり、慌しさから開放されて町中が安堵に包まれる頃、この北勢町の古民家には灯りを煌々と点けて手作業で仕込みをする夫婦がいる。
桑名市から北勢町に移住し、今年5月に「自然食 千とせ」という野菜中心の和食店をオープンした中島洋さん、千恵子さん。
市の空き家、空き地バンク制度をきっかけに探し求め、ようやくイメージに合うこの古民家にたどり着いたそうだ。
営業時間外の調理場はワクワクする。
誰も客のいない、夜のミュージアムを見学する気分。
そこには営業時間とは別の顔をした、クリエイティブで情熱的な、中島さん夫婦がいた。
まじり気のない自然のままの美味しさを伝えるのは難しい。
でも中島さん夫婦さんは、諦めない。
諦めるどころか、また今日も地道な手作りの作業を、一つ一つ妥協せずやりとげようとする。
野菜中心のメニューは、自然のそのままの美味しさを知ってほしいという中島さん夫婦の願いが込められた、カラフルで優しい味。
タレ、ドレッシング、漬物、添え物……、どれも手間ひまかけた、手作りだ。
すべての食べる人の健康を考えて有機野菜、無農薬野菜を使用し、調味料なども無添加で徹底しているそうだ。砂糖すらも使わないという。
店内は居室が田の字型に配置された、昔ながらの家の雰囲気をそのまま活かされているので、心が落ち着く。
小さい頃、祖母の家で過ごした夏の思い出がよみがえってきた。
あらゆるものを手作りしなければ、きっと時間は短縮できる。楽もできる。
しかし、中島さん夫婦は効率化、省力化の時代の流れの中で、祈るように一途に手間ひまかけた自然食の認知を上げたいと、抗い続ける。
……このお二人が多くの人に伝えようとしている味は、高尚なものでは全くないと感じた。そう、もっともっとシンプルなものだ。
実際に食べた時に、分かったことがある。
小さい頃、夏休みにおじいちゃん、おばあちゃんの家で食べた煮物や漬物の味。
アレだと思う。
それと、毎日が長くて、楽しくて、幸せだったあの遠い夏の記憶。
満たされていた幼い頃の記憶を想起させてくれる味が、人をいかに豊かにするかを、このご夫婦は教えてくれた。
思い出は、味とともに、ここにある。
「もう、ご飯だよ。帰っておいで」
「はーい」
【Credit】
〈取材撮影ご協力〉
自然食 千とせ 中島千恵子さん、洋さん
〈撮影〉
いなべ市役所 企画部 広報秘書課
〈編集〉
いなべ市役所 企画部 政策課
〈撮影場所〉
北勢町飯倉