幸せな気持ちで働いている
その日も農作業の手を止め、話をしてくださった。
いなべ市藤原町で「農業喫茶マロン」を営む伊藤彰将さん。
農業喫茶―――聞きなれない言葉だ。伊藤さんは農家なのか?喫茶店の経営者なのか?
答えは「どちらも」だ。
伊藤さんは約20町(東京ドーム4つ分)の農地で米、大麦、小麦を生産している。
一方で、喫茶店を経営。その店で提供される栄養満点、甘味豊かな白ご飯は、自らが作った自慢の米だ。
農と食をリンクさせながら自らのフィールドを作り出し、精力的に働く伊藤さん。その生業を「幸せな気持ちでやっている」と話す。
田畑も店も、あるのが普通だった
伊藤さんは生まれも育ちも藤原町。
現在の生業の拠点である喫茶店や田畑は、もともと父親である辰治さんが営んでいた。伊藤さんは二代目だ。
喫茶店は1977年に開業し、モーニングからティータイムの憩いの場として長年地域の人に愛されている。伊藤さんも子どものころから出入りし、「半分家のような場所」と話す。
田畑もまた、農作業の手伝いをするなど身近な存在だった。10代のころは、「手伝いをしている姿を友達には見られたくない」という、気恥ずかしさもあった。
しかし、店や田畑は日々の暮らしの中で空気のように存在していた。
夢を追う途中で気付いたこと
伊藤さんは音楽の世界で生きることを目指し、19歳から20歳までの数か月間アメリカとジャマイカでレコーディングの仕事をした。帰国してからは、資金づくりのためいくつもの仕事を掛け持ちした。1、2年は音楽を続けるためにお金を稼ぐ生活だった。
「そのころ、父のお店や農業には興味がなかった」
馴染み深いがゆえに、積極的に仕事として意識することがなかった。
しかし、自分の夢をひたすら追う途中で、その馴染み深い暮らしに光が当たる。
海外生活や帰国後の仕事や友達付き合いで、いなべ市外の人に実家で作った米を食べてもらうことがあった。
「おまえのところの米はおいしい」と誰もが言う。いつも食べている自分や、地元の人々では分からなかったことに気付いた。
うちの米はおいしい。
これが、家業に目が向いたきっかけのひとつとなった。
心配してくれる人たちがいた
「事故直後は受け入れる、受け入れないより、『まだ生きている』という感覚だった」
13年前、伊藤さんは後遺症が残る事故に遭い、夢であった音楽の仕事が、思うような形で続けられなくなった。
このとき、家族、店の客、友だち、地域の人など周りが伊藤さんを心配し、助けになってくれたそう。
店や農業の手伝いをする傍ら、イベントの企画、フライヤー制作、アーティスト写真撮影など音楽業界の裏方仕事もこなす毎日。落ち込む暇はなかった。
店や農業の経営には、父の辰治さんと相談しながら携わった。地域の子どもたちの農業体験への協力も積極的に行い、「店の改装をしよう」と前向きな話もしていた。しかしその最中、辰治さんが闘病の末、亡くなった。
偶然の先の幸せ
現在、店と農業は伊藤さんが継いでいる。
この3月には念願だった店の改装をした。ついたてを取り壁面を張り替え、広々とした空間となったが、ソファ、床材、食器棚は辰治さんが店主だったころのままだ。伊藤さんが家のように慣れ親しんだ店の名残がある。これまでの雰囲気を壊さず、より心地よい空間を生み出したかった。新しくなった店の様子は、常連客からも好評だ。
「いまの仕事は、偶然やっている感じ」と伊藤さんは話す。
さまざまな出来事、出会いを経験し、苦しい時期も地域の人のやさしさに救われ続けたことで、食と農の世界へ一歩一歩近づいていった。
2つの仕事の掛け持ちは決して楽ではない。農繁期は朝から晩まで田畑に出る。また、取材時点で喫茶店はコロナウイルス感染拡大防止のため、しばらくはテイクアウトのみの対応となっていた。
それでも伊藤さんはこう話す。
「地域の米が好きで、父のやってきたことを大切にしたい。しんどさの向こうに思いやりや愛情があるんです」
辰治さんと同じ気持ちで店や農業に臨めるようになることが目標だ。
偶然の積み重ねの先に、幸せを見出した伊藤さん。
その想いは、土が耕され作物が成長し実りの日を迎えるように、この地でゆっくりと育まれていた。
農業喫茶マロン(のうぎょうきっさまろん)facebook
【住所】三重県いなべ市藤原町市場126 (東海環状自動車道 大安ICから車で約10分)
【問い合せ】0594-46-4520
【定休日】日曜日 農繁期不定休
【Credit】
〈取材撮影ご協力〉
農業喫茶マロン 代表 伊藤彰将さん
〈撮影〉
伊藤彰将さん、企画部 政策課
〈インタビュア・テキスト〉
企画部 政策課